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2010/02/21 (Sun) 20:37:33
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愛の三要素・・・? - あしたば
2007/06/25 (Mon) 06:54:35
愛という言葉は会う、出会う、一体化するという意味で愛という言葉は一体化している姿を指しています。その愛がいろんな姿に現れるんです。思いやり、寛容、赦しが大きく分けると愛の三つの要素になります。
思いやりは必要なものを的確に与え尽くしていくんです。全てに対して必要なものが必要なだけというのがみんないいので小さい光が必要なところは小さい光、柔らかい光が必要なところは柔らかい光、強い光が必要なところは強い光というふうに的確に本当に必要なだけを与え尽くしていく生き方が思いやりです。必要な以上に与えたらいけないんで、これは思いやりではなくなります。
寛容の心はひろく受け入れるという、これは全てをプラスにプラスに受ける心です。全てをプラスに受ける心というのは一番下から受けないとダメなんです。マイナスの極からマイナスの無限大から全てをプラスに見ていくという光一元に眺める心です。そうすると小さいプラスは小さいプラスでいいし大きいプラスは大きいプラスと全部プラスへプラスへと向けていけるんです。これが寛容の心です。
赦しは過去を相手にしないこと、一瞬一瞬新たに出てくる姿をしっかりとらえていくことです。過去のことを言わない、過去のことは過ぎ去って消えて役目が終わってもうないんです。必要なものが新たに新たに今出て来ているから今新たな姿だけををしっかりと今の一瞬だけ捉えるんです。そうしたらあの人は過去にどういう悪いことをしたとか言わないんです。今現れた必要な姿だけが神様の愛の姿として出て来るんです。それが本当の赦しです。
この三つの働きが本当に一番大きい愛の働きです。この三つがあればみんな幸せになれます。
自由と愛・・? - あしたば
2007/06/25 (Mon) 06:34:07
人の自由を縛らないというのは、人が何を必要としているかを見抜いて必要なものだけを与えていくということはそのまま自由を尊重しているんです。
相手の立場を本当に思いやっています。自分の思い通りにしたいという時は逆で相手の立場に立っていない自分のことしか考えていないという生き方です。
だから自由を尊重するというのは愛のひとつの働きです。
結婚しても結婚した時は新鮮な心だから普通は相手を縛らないです。
恋人の時は特にそうかもしれません。
絶対に縛らないで相手のいいところだけを認めて思いやりの心を与えようとすることが多いです。
でも結婚すると掴んでしまうんです。
結婚したんだとなったらもう自分のもので自分のものと掴んだら、自分の思い通りしたいと考えたら縛ってしまう可能性も出てきます。
本当に自分を与え尽くして相手と一体化してひとつになるならいいんですけど自分の方へ取り込もうとするんです。
求める心を起こすともうダメになります。相手には与え尽くすだけがいいです。
絶対に求めないで一切報いを求めないで与えて与えて与え尽くすだけがいいです。
そうすると本当の愛の姿をとるんです。本当は与えたら与え返されるんです。そして又神さまの心と波長があったら神さまから与えられるんです。
だから与える生き方が愛の生き方なんです。
一切求めない方がいい、求める心は損をするんです。相手が幸せになるためだったら何でも与えて与えて与え尽くすし自由を絶対縛らないなら好き勝手してても何も文句もいわないです。
本当に相手の幸せだけを願う心はそうなんです。
その時は自分が相手と一体化しているんです。
自分の方から相手と一体化しに行っているんです。
相手の立場に立ちきる、立つというのはそういうことです。
これを逆にして自分の方へ取り込もうとすると相手の全部は取り込めないんです。
それだと本当の一体化ではなくて部分的な一体化です。